人間とは 1

人間とは 1


鏡の中の自己 鴎外『栗山大膳』

齢を重ねると共に、若い時にはなかった感慨が出てきます。初唐の詩人張九齢こんな詩がありました。

 鏡ニ照ラシ白髪ヲ見ル
               張九齢
 宿昔青雲ノ志
 蹉舵タリ白髪ノ年
 誰カ知ラン明鏡ノ裏
 形影自ラ相憐レマントハ

*

この詩を読んでいると、レンブラントの自画像を思い出します。レンブラントは、10代から晩年に至るまでに、様々な自画像を沢山描いていて、あたかも肖像による自叙伝の趣があります。10代ののときは、まだ自分を掴みかねているようなどこにでも見られる若者です。20代後半から30代の肖像画は、人気を博し豊かであったのでしょう、豪華な毛皮の衣装や帽子で着飾って、自信に満ちています。

しかし36歳のとき、妻サスキアが若くして亡くなります。そして40代後半から借金に苦しむようになり、晩年の彼には不幸がいくつも訪れます。57歳で2度目の妻ヘンドリッキェに死なれ、62歳の時に、結婚したばかりの息子ティトゥスを失います。晩年に描かれた自画像を見ると、孤独と貧窮の裡でレンブラントは鏡の中の自分と如何なる会話をしてそれを仕上げたのかと気になります。先の漢詩のように「形影自ラ相憐レマントハ」とは思わぬまでも、「誰カ知ラン明鏡ノ裏、形影如何ナル答問ヲカナス」です。

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齢を重ねれば世の有為転変を眺めるだけでなく、自らその渦中に巻き込まれることもあります。その時に人は如何なる行動をとり、如何なる気持ちになるでしょうか。森鴎外の史伝『栗山大膳』を読んだあとにも、そのような感慨を抱きました。これは江戸時代初期の黒田藩であったお家騒動を題材にした話ですが、若い頃に読むのと今読むのとでは、感想が異なってきます。

この作品を今読んでみると、大変読み易く感じます。やっていることとの関連で古い随筆に目を通すことがかなりあり、江戸の人物・社会事情への理解が前より深まって、古いものを読むのに余り抵抗がなくなったことが、読みやすく感ずることに与っているのは間違いありません。江戸の候文に比べると、鴎外の文章は現代文なのです。

しかし読み易くなっただけではなく、以前よりも読んでいて面白いのです。それは何故なのでしょうか。

*

筑前の栗山大膳は、主君黒田忠之と反目し、主君に幕府への反逆の疑いがあるという訴えをなすという、思い切った行動に出ます。その結果が先に提示され、そのあとで戦国の末からの黒田家を巡る登場人物たちの家の歴史が語られ、栗山大膳が父以来の功臣の家の出で、自身も黒田の藩政を預かる三家老の一人であることが明らかになります。

その当時主君忠之は、軽輩の出の怜悧な者を近習として重用するようになり、三家老をないがしろにして次第に藩政に緩みが出ていました。それへの諫書を出したこともあって、黒田忠之と栗山大膳との間は疎隔になり、ついに両者の反目は極度に達し、大膳が藩主には幕府に対する謀反の疑いが有るという訴状を出すことになったのです。

両者は幕府に呼ばれ、老中土井勝利以下の幕閣による吟味が行われ、その結果、藩政に不調法の廉があったと藩主は叱責され、重用された近習は退けられるのですが、主君忠之の謀反の疑いは晴らされます。

では何故大膳は主君に謀反の疑いありという訴状を出したのか。それは、忠之が領国内で栗山大膳を成敗すれば、幕府が領国召し上げに動くことは間違いないからです。訴状を幕府に出し両者の対立が公儀にも知られることで、主君が大膳を成敗出来ぬようにして領国を取り潰しから救いつつ、同時に藩政の改革を求めたのです。

訴状を出すにあたって、栗山大膳は家族を離縁し、家財を処分するなど周到な準備をしています。謀反の疑いありとの訴状を出したのは武略の一端であるとの大膳の言葉を聞き、役人席には感動の色が見えます。最終的には栗山大膳は陸奥の南部藩に移され、公儀からの扶持を与えられ、そこで生涯を終えます。人の一生には思いがけないことが起きるものです。

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鴎外の史伝は事実を淡々と叙述した裁判記録か法廷劇のようですが、客観を装いつつそこに彼の思いが込められています。大膳の言葉を聞いて、役人席には感動の色が見えたというのは、彼の脚色でしょう。鴎外がこれを書いたのは大正3年、52歳のときのこと。既に数年前から軍医総監を辞職したい意を明らかにしていましたが、彼の心中が叙述に反映するのは当然です。年表を見たり鴎外に関する様々な研究書を見ればもっと判るでしょうが、そのようなものがなくとも、年齢から人の発言の裏の心理がある程度推測できるような気がします。

しかし鴎外の叙述の力量もさることながら、そこにある事実や描かれた人の軌跡に、我々は感慨を催す年齢になっています。若い時にはこのようなことは余りなかったのですが、読み手の年齢が上がると、多少世の中のこと人の心の中が判るようになってくる。興味深く読めるのは、そのためなのです。

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とはいえ有為転変に対して、人は思っている以上に柔軟です。自ら主体的に作り出した変化であるか、止むを得ずの環境変化かは別にして、新しい状況に合わせていくことができます。44歳で筑前から南部藩に移された栗山大膳は、山内氏と再婚しその地で62歳で亡くなります。山内氏との間に生まれた女子には婿養子が出來て、南部家に仕えます。父に従って南部まで来た嫡男利周は、黒田家の聘を斥け処士を以て終わります。

老いていく己が姿を鏡に映して眺めるとき、栗山大膳の胸中は如何なるものであったでしょうか。(2003年11月)




親の心

図書館で阿川氏の自選作品集を見つけ、『暗い波濤』を少しずつ読みなおしています。昭和43年1月号から48年6月まで新潮に連載され、49年3月単行本で出されたもので、出た時に夢中で読んだ記憶があります。その下巻の作品後記にはこんな取材余話が書かれており、大きく心を動かされました。

 巡洋艦那珂の副長で戦死する浦部少佐は、東港における私の分隊監事浦野三郎大尉(当時)がある程度モデルで、那珂艦長末沢慶政大佐に話を聞いた。末沢艦長も一時艦と運命を共にしたと伝へられたが、戦死の内報をもたらした人に、郷里の母堂が、
「いいえ。それは何かのお間違ひでございませう。死ぬなら、あれは私の枕元に立ちます。夢にあらはれませんから、倅は生きてゐるはずです。」
 と言つて、どうしても承服しなかつたさうで、その話をしながら、七十過ぎた老艦長は顔をおほつて嗚咽された。

*

吉田満氏の『戦艦大和ノ最期』には以下の記述があって、同じ様な思いに捉われます。大和が撃沈され漂流している所を辛うじて救出され、賜暇で家に帰った時のことです。

漂流者慰労ノ休暇ヲ賜ハリ、
思ヒ掛ケズ故郷ニ旅立ツ
途次、電報ヲ打ツ
遺書スデニ参上シタレバ、
父上、母上、諦メ居ラルルヤモ知レズ
−−喜ビノ心構ヘヲシツラヘ給へ
家ニ着ク 父、淡々トシテ「マア一杯ヤレ」
母、イソイソト心尽クシノ饗應ニ立働ク
フト状差シニ見出シタル、ワガ電報
−−文字、形ヲナサヌマデニ涙滲ム

(2003年5月)




決断と運命 パウロ・コエーリョ

パウロ・コエーリョの『アルケミスト』は、「人が本当に何かを望む時、全宇宙が協力して夢を実現するのを助ける」本だと言われているそうですが、少し補足をします。

『アルケミスト』は、スペインの羊飼いの少年が、夢に見たものを訪ねて、エジプトにまで旅をするお話です。しかし中身は児童文学ではありません。少年の冒険物語に託しながら、人の運命と決断についての考察を平易な言葉で語ったものです。エンデの書くものも非常に深いのですが、それとも違う象徴性を伴った作品です。

著者は運命と宿命とを対立するものと捉え、大切なのは運命の実現であると訴えているのです。

誰でも若い時は自分の運命を知っているものです。まだ若い頃は、すべてがはっきりしていて、すべてが可能なのです。夢を見ることも、自分の人生に起こって欲しいすべてのことに憧れる事も、恐れません。そして自分の運命を実現しようと努力する者には、援助の手が差し伸べられます。それが幸運という名の助けです。ですから幸運が私たちを助けてくれるうちに、できるだけのことをしなくてはいけないのです。それが幸運の原則です。

しかし人は、人生のある時点から、自分に起こってくることをコントロールできなくなり、宿命によって人生を支配されてしまうようになります。運命を実現させようと、色々な前兆がささやいてくれるのですが、その声は次第に弱くなっていき、逆に時がたつにつれて、不思議な力が、自分の運命を実現することは不可能だと思い込ませ始めるのです。結局人は、自分の運命より、他人がどう思うかという方を大切にするようになってしまいます。そして、年をとっては、何かを変えようとしても遅すぎるのです・・・

これを読んだのは4年ほど前ですが、その時に「さて今の自分はどうだろう」と考えました。運命を実現させようという気持は、今消えかけている。このまま平穏無事に仕事を勤め上げた時には、宿命が自分を支配することになる。外に何もすることが出来なくなる。ただ幸いな事に「これで良いのか」と耳元で囁く声はまだ消えていない。その囁きが聞こえる間は、まだ幸運という援助が自分にもあるのだ、と感じたことを覚えています。

*

パウロ・コエーリョの本は、この外に『星の巡礼』、『ピエドラ川のほとりで私は泣いた』などあり、いずれも角川の文庫で出ています。

人生には、その時に起こってもよかったはずなのに、そうはならなかったことがいくつもあり、その魔法の瞬間は気付かれずに過ぎてゆき、そこから急に運命の手がすべてを変えていきます。このことが『アルケミスト』で繰り返し語られた主題ですが、それを基調とした上に、『ピエドラ川』では、聖母マリアに象徴される女性らしさが、世界を動かしていくことを、スペインの女性ピラールの物語を通して語っています。

『星の巡礼』に出て来るのは、カンポ・デ・ステラですが、私もこの道を歩きたいと考えています。フランスのピレネーを越えてスペインの北側をずっと西に向かうのですね。ヨーロッパ版のお遍路さんです。(2002年5月)



中山義秀『土佐兵の勇敢な話』

中山義秀『土佐兵の勇敢な話』(講談社文芸文庫99年7月刊)を読みました。初めてこの人の作品に接したのですが、毅然として立派な作家であると思いました。作品には、藤沢周平氏の東北の架空の海坂藩を舞台にした武家もの、特に初期のものと通い合う雰囲気があります。ただ中山氏の方が、より重厚というか沈鬱で、鴎外の史伝の雰囲気に近いものがありました。

そのような雰囲気は、時代に翻弄されながらも昂然と運命を引き受ける人々を、淡々と描いていることからくるのでしょうか。成功した人物というよりは、挫折し紆余曲折を経た、どこかで作者の人生と重ね合わせることができる人物が描かれています。

巧みな心理描写もあり、鬱屈した老人ならこうも感ずるのかと、読むものを感心させるところもありますが、この人は苦悩する内面を描くことよりも、大いなる川の流れのように人事を超えて進む歴史を叙述することを得意としているようです。

特に『碑』という作品は読後に、重いけれどもある種の昇華されたような思いが残るものでした。軽輩の士分の家に生まれた兄弟の、幕末から明治にかけてのそれぞれの生き様を描いた中篇です。

兄は奥州の山間の小藩で営々と勤め、それなりの地位に就きますが、維新後は金貸しに転じます。しかし家庭的には恵まれず、高利貸しとして人々からも恐れられ、人気のない屋敷に孤独な生活をします。

弟は剣術家のところに婿養子として迎えられ、江戸に出て剣術を修行するものの、妻の死後養家を飛び出して大道芸人となりました。その後天狗党に加わり、最後は故郷近くの山村の宿場問屋の入り婿となり土民に身を落としてしまいます。

老人になった兄弟は40年ぶりに会うことになり、兄高憲の屋敷で相対します。それでいながら、まるで昨日まで一緒に暮らしていたように黙りあっていました。・・・「しかし二人の沈黙は、齢は傾き姿は変わっても光ばかりは衰えぬ互いの鋭い眼差しのうちに、さすがに流れ去った長い歳月の思い出が、つぎつぎと浮かび蘇ってくるような、意味深い黙り方だった。おそらく二人は互いにそれぞれの生き方をしてきたという感じを、この時ほどじかに身にしみて味わったことはなかったに相違ない。」

・・・「茂次郎の生涯は失敗だったにしても、とにかく彼は自分一人の力で生きてきた。そして彼相応の努力をつくし、命を賭けて闘いもしたのである。してみれば彼とても己の生涯を代償にしても人生の底から掴み獲た物が、何かあったことだろうと思う。それは言葉にも文字にもあらわせぬ心魂の響にすぎなかったにしたところで、やはり誰からの借り物でもなく茂次郎自身のものにほかなるまい。」

弟茂次郎の葬儀に現われた兄高範の姿を描写しているところは、読むものを粛然とさせます。それぞれの人生は、人間の知るところの外にある運命に弄ばれるのですが、それは諦観を伴いながらもどこか肯定的に描かれて、ある種の救いを差し延べているように思われます。(2000年7月)



心して行け

イラン映画「風が吹くまま」をやっと見ることができました。様々なことを考えさせる映画ですけれども、一つ印象に残ったのは、人々の日常に詩歌が深く根付いていることでした。主人公のディレクターが墓掘りと会話をするときや、乳を貰いに行って顔を見せたがらない若い娘と話をするとき、最後のシーンで往診に来た医師が主人公をオートバイに同乗させ、古典の詩歌の一節を朗誦するときなど、大事なところで歌が出てくるのでした。

それに触発されたということもありませんが、オマル・ハイヤームの詩集『ルバイヤート』を読みました。オマル・ハイヤームは11世紀から12世紀にかけてのペルシャの科学者、数学者、哲学者かつ詩人です。この四行詩の詩集は、唯物論的で無神論的な内容からイスラムの教義に反する涜神の書とされたとのことですが、生きることの本質を、一種突き抜けた境地で歌っているところに特徴があると思います。

人はこの世に一瞬とどまるに過ぎず、またすぐに土に返る。今、酒を飲んでいるかわらけの盃も、土に返った過去の人間が形を変えたものかもしれないし、自分も死ねばそのように土に返る。それ故に、生を楽しめと勧め、また他者には寛容になれと歌います。しかし酒を汲み美姫を抱き、生を楽しめと歌うその調べは、享楽的とは感じられず、透明な悲しみを湛えたものという思いが致します。

「風が吹くまま」の最後で医師が暗誦した次の詩も、この詩集からでした。

(90)
天国は美しい所だと人は言う
だが私には葡萄酒の方が美しい
響きのいい約束よりも目の前の酒だ
太鼓の音も遠くで聞けば妙なる調べ

そのほかに、気になったものをいくつか・・・

46
この永遠の旅路を人はただ歩み去るばかり
帰って来て謎をあかしてくれる人はいない
気をつけてこのはたごやに忘れものをするな
出て行ったが最後二度と再び帰っては来れない

50
われらは人形で人形遣いは天さ
それは比喩ではなくて現実なんだ
この席で一くさり演技を済ませば
一つずつ無の手筥に入れられるのさ

69
昨日壺をつくる所へ立ち寄ったら
壺つくりは土をこねてしきりに腕をふるっていた
盲の人は気もつかなかったろう、しかし
その手の中におれは亡き人の土を見た

113
あわれ、人の世の旅隊は過ぎて行くよ
この一瞬をわがものとしてたのしもうよ
あしたのことなんか何を心配するのか、酒姫よ
さあ、早く酒盃を持て、今宵も過ぎて行くよ

(2000年6月)



生命とは・・・シミオナート

生命とは、生きるとはということを、少し考えています。どんなときに生命を感ずるのでしょう。

教育テレビ日曜の夜にステージ・ドアという番組があります。そこで少し前、かつての名メゾ・ソプラノ歌手ジュリエッタ・シミオナートが、NHKに保存されている来日当時の自分の映像を見ながら、自らの歩んだ道を語っていました。その映像には自分の最盛期の歌と演技が定着されています。若々しい肌、すばらしい歌声、ともに舞台に立つ名テナー、名バリトンの男性歌手たち。

それを見て彼女は涙を流していました。なぜなのでしょう。彼女の頭の中には共演者やオーケストラのこと、公演にまつわる様々な思い出などが去来する一方で、自分でありながら他人のような遠い過去の若い歌い手を、羨望の思いで眺めていたのではないでしょうか。過ぎてしまった時間が突然よみがえり、若い生命感に溢れた女性が歌っている。それを見たときに、ああこの人は自分の生命を感じ、そのことに涙を流したのではないかと思いました。

加えていえば、生命と時間とは密接に関わっているのではないかと思います。時は金なりという表現は、時間の貴重さを金銭と比較して強調していますが、時間を金銭と比較するのでは、時間の貴重さを十分言い尽くしてはいないでしょう。我々にとって時間は生命そのものといえるもののように感じます。哲学者は生命についてどのように考えているのでしょうね。(2000年3月)



風の旅

西江雅之『旅は風まかせ』を読む。著者は言語学と文化人類学の研究のために、世界各国を旅したのであるが、本当は、研究のために旅をしたのではなく、旅の結果が研究者として生きることになったとのかもしれない。その時の印象が、本書の比較的短い文章となっているのであるが、その基調になっているのは、旅での出会いと別れである。確かなものは何もなく、旅先での景色のみが記憶の中で確かに生きている。

*

それは、ユカタン半島の寒村で、韓国人を母とするマリアと出会いの話の中に端的に凝縮されている。この話を含む最初の「プログレッソ−メキシコ」は特に印象深い文章である。

出会った一年後再びこの家を訪れると、少女であったマリアは急に大人び、母親はますます逞しくなったと感じられた。更に、三年後、旅先から予告もなしに、この母子の家の庭に立つが、マリアはいない。活気のない家から出てきた母親は、マリアが、憧れのスチュワーデスになり、搭乗勤務の数日目に墜落事故で亡くなったことを告げる。

人生の何かを、凝縮して伝えているようで、現代の伊勢物語のような、雰囲気がある。

*

この人の文章の特質は、人生の一回性の認識であろう。旅に出て多くの行きずりの人々と言葉を交わすが、その土地を再び訪れることはもうないであろう。その人々と出会うことは、生涯二度とないと諦める。そんな時に、自分が旅に出ていることを感ずるのである。その時に生と死が一瞬、同時に体内を掠めていくという。このような、ただ一度限りの人生を意識させるところに、独自の情緒が漂っているのである。(1989年7月)

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